■時田 正彦 教授■

Dr. Tokita Masahiko


 1.プロフィール

 
「氏名」
 時田 正彦 (ときた まさひこ)

「生年月日」
 昭和21年4月21日(1946年4月21日)

「出生地」 
 新潟県北蒲原郡築地村 (現 胎内市) 大字高畑 

「在籍学校」
 中条小学校 
 中条中学校 
 新潟明訓高校 
 新潟大学 理学部 物理学科 
 新潟大学大学院 理学研究科修士課程 物理学専攻
 名古屋大学大学院 工学研究科博士課程 応用物理学専攻
 名古屋大学大学院 工学研究科 (研究生)
 古賀自動車学校 
 古賀スイミングスクール
  Imperial College of Science, Technology and Medicine (英国)
「学位・免許」 
 理学士 (新潟大学) 
 理学修士 (新潟大学)
 理学博士 (名古屋大学) 
 高校教員免許 理科2級 
 高校教員免許 理科1級
 自動車免許 普通 (ゴールド)

「職歴」
 福岡工業大学 工学部 講師
 福岡工業大学 工学部 助教授
 福岡工業大学 工学部 教授 
  
         

                 

<自伝>  
   1946年(昭和21年)4月21日 新潟県北蒲原郡築地村(現 胎内市)高畑に生まれる。東京から疎開していた上流階級(?)の小父さんから,くんくんと襟足を嗅がれて「いい匂いのする子だ。」と祝福された(らしい)。物心が付いて覚えているのは,ある人から「山のアンにゃ(お兄さん?)」と言われ,子供ながらに頭にきて「サルでない!」と言い返したことである。(生家は集落の高台にあった。)
1952年(昭和27年)4月 中条小学校に入学。入学前にできたことは,100まで数えれたことと,「時田正彦」と名前が読めて書けたこと。(ただし「ひらがな」も「足し算」もできなかった。)学校は好きでなかったが,学校の行き帰りで町工場を覗くのが楽しみで,工作機の旋盤や鍛冶屋のフイゴなどが面白かった。豆腐屋やアイス・キャンデー屋も面白かった。将来は旋盤工になりたかった。
1959年(昭和34年)4月 中条中学校に入学。校章が中条氏というサムライの家紋であった。いまでも目がカチカチすると,その紋が瞼の裏に浮かぶ。中学校は勉強しなくてはいけないので嫌だった。中倉一成先生(鬼門に入られた)にはいろいろ教えてもらった。大人扱いをしてくれるので嬉しかった。
1962年(昭和37年)4月 工業高校から就職するつもりであったが,中倉先生の勧めで大学に進学することにし,新潟明訓高校(水島さんの漫画のドカベンの高校!)に入学。因数分解がわからず,数学で初めて挫折感を味わった。お坊ちゃんがけっこう多く,足の引っ張り合いが無いところが良かった。
1965年(昭和40年)4月 田舎の大学の理学部物理学科へ入学。 大学は自由に振舞えるので嬉しかった。しかし「微分積分学」(E.ランダウの「うちの娘はなぜxy=yxなのかよくわからないようだ。」という意味!)でびっくりし,「数学が少しできる。」という自負は吹き飛んだ。貧乏だったけど勉強したり遊んだり,また大学紛争もあったりして,それなりの標準的な学生生活であった。あとはのんびりと大学院の生活を送った。ただしODになったときはさすがに焦った。

 2.担当科目

                      物理学T,物理学U,物理学実験,電子情報数学T,電子情報数学U



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