「科学・社会・人間」の発行にあたって

    東大教養 小出昭一郎
    名大数養 豊田 利幸
    九大教養 中山 正敏

<人間が社会をつくっているからには、各人
は社会に対してなにがしかの章任を負ってい
る>という命題は、民主主義社会においてと
くに重要であると思います。そこでは一人一
人が社会の将来を決める責任と権利を持って
いるからです。
 日本の物理学者にこのことをはっきりと示
したのは、いうまでもなく原子爆弾の出現で
した。原子爆弾を産み出した物理学に携る者
として、物理学者はその実情を広く社会に知
らせ、核兵器が使用されることのないよう力
を尽すべきであるという意見が表明されまし
た。実際、多くの物理学者が時、所、立場の
違いはあれ、そのよう活動を行ってきまし
た。それとともに、これが兵器開発や軍事科
学に限られないさらに大きた問題の一部分で
あるということも、自覚されるにいたりまし
た。
 自然科学者は、対象を限定することによっ
て問題を明確化してあつかうという手法にな
じんできました。現在の産業化社会は、一面・
からいえば、この方法の成果でありましょう。
しかし、産業化の進展とともに、問題を限定
するため恣意的に切捨てた諸因子が、しばし
は不都合しかも重大な結果をもたらすことが
明らかになってきました。その端的な現われ
が公害と呼はれている現象です。それにもか
かわらず、科学鼓術者の中には方法の限界を
自覚せず、外からの批判を雑音と感じて反発
する風潮がはひこっています。
 この風潮は従来の科学研究の方法こ根ざし
た体質的なものともいえまし⊥う。物理学者
にこの点を劇的に示したのは、ベトナム戦争
のさなかに開かれた1966年国際半導体会議へ
のアメリカ陸軍からの資金導入と、それが定
額したときの同会議実行委員会および物理学
会執行部の対応でした。そこでは会議の成功
だけが追求され、アメリカ軍から金を貰うこ
との意味が忘れられていたばかりでなく、学
会内外からの批判に対して非論理的で感情的
た反発を返したのでした。
<物理学者の社会的費任は物理学の研究と教
育を遂行することだ>としばしば言われます。
それは当然のことです。しかし、真理の一片
を明らかにし、それを学生に伝えようとする
誠心誠意の行為の集積が、結果として、社会
的な悪につながりかねない状況がうまれてい
ます。従って、その中にあって研究・教育し
ていることの意味は何か、という問いを絶え
ず発することが必要であります。それなしに
は、物理学者の章任は果し得ません。そのよ
うぢ問いかけを行い答を探って行くにあたっ
ては、従来の科学者・技術者の狭い立揚を超
えて一個の人間存在として問題を見直さなけ
ればなりません。単に、軍事研究をしなけれ
は良いとか、軍から金を貰わなければそれで
すむといったことではないと思います。
 一方ひるがえって考えれは、人間の学とし
ての科学の目標は本来人間を取り巻く対象の
トータルな理解にあったはずです。問題を限
定することはそのための手段にすぎず、その
有効性と限界は絶えず検討されなければなり
ません。限定された問題の中に閉じこもりそ
の問題の出て来た前提を検討しないというの
は、科学本来の精神からの堕落であります。
それでは科学者としても一人前ではないとい
うべきでし⊥う。
 われわれは、1977年の日本物理学会百年記
念年会をきっかけに、「物理学者の社会的責
任」と題するシンポジウムを年会の度ごとに
開いてきました。とりあげたテーマは、「科
学者の社会的着任」、「原子力の平和利用」、
「放射性廃棄物」、「物理学者に対する社会
的需要」、「計算機利用の功罪」、「核兵器
廃絶」など多岐にわたっています。これは問
題の大きさと広がりを示すものに他なりませ
ん。この秋札幌で開かれる第37回年会では、
現在の状況の中で<物理学者の社会的責任>
とは何であるか、もう一度原点にもどって議
論しようという計画が進められています。
 この問、国際的には軍事力の誇示あるいは
行使による紛争の処理、国内的には<お上>
に逆らう者を撲滅しようとする管理社会化の
動きが、ますます顕著にだってきました。そ
の中で科学技術は「科学鼓術立国」というス
ローガンが示すように、中軸をなすイデオロ
ギーの役目をも担いつつあります。しかも、
このような動きはかなり広い層によって支持
され、あえていえば二度目の(自由からの逃
走)といった様相を呈しています。これまで
述べて来た文脈に即していうならば、科学者
・技術者を社会から切り離し、人間でない部
分に封じこめ、それによって民主主義社会、
あるいは地球そのものをすら破壊しようとい
う動きであります。これに対して多くの科学
者は、若干の研究費獲得と引換に、無批判に、
いやむしろ喜んで、その流れに身を任せよう
としています。われわれは、こうした風潮に
もっと強く逆らわなくてはならたいと考えま
す。
 そのためのごくささやかな一歩として、わ
れわれはサーキュラー「科学・社会・人間」
を定期的に刊行することにしました。このサ
ーキュラーは科学を社会の中で、人間の営為
として考え、行動してゆこうとする人々の間
の情報交秩、討論の揚を提供しようというも
のであります。多様な意見と経験の交流の中
から、新しい物理学者像、ひいては新しい物
理学、新しい社会が模索されることをわれわ
れは期待します。われわれは綱領を持ち統制
された団体を結成し、その機関誌としてこの
サーキュラーを作るのではありません。
 さしあたっての編集責任は表記三名で構成
する編集委員会が持ちます。投稿はすべて自
由であり、投稿された原稿は原則として何で
も掲載されます。それぞれの文章の章任は署
名者にあります。ぺソネームでも結構です。
財政は維持会員の会費(1口年額1、000円)
とカンパに頼り、さしあたり年4回の発行を
目標としています。
 いうまでもありませんが、このようたサー
キュラーは多くの方々の投稿や財政的支援に
より成立ち、育つものです。問題意識を共有
する方々の協力をお願いします。

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