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福岡工業大学 教授工学博士 仙波 卓弥福岡工業大学 工学部 知能機械工学科
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1982年6月に同志社大学大学院・工学研究科・機械工学専攻・博士後期課程を単位取得退学した後,1982年7月から1986年3月までの間,東京大学生産技術研究所に勤務しました.
谷研究室が発足して間もない頃であり,研究テーマ探しと,研究テーマを決めるための味見実験にほとんどの時間を費やしたような気がします.若さと時間の他には何もなかったという時代でした.
年齢は1つしか違わないのですが,当時助教授でいらした谷泰弘先生からは,多くのことを学びました.
なかでも,”町の発明家になってはいけない”,という谷泰弘教授の言葉は,忘れられない自戒の言葉です.
当時,生産技術研究所の教授でいらした佐藤壽芳先生に接する機会に恵まれましたたことは,研究生活を続ける上で,何物にも代え難い財産になっています.
1986年4月に,現在の勤務先である福岡工業大学に赴任しました.
当時,福岡工業大学の学長をなさっていた佐久間敬三先生に招かれたことであったと記憶しています.
歴史は繰り返すと言いますが,福岡工業大学に赴任致しましたおりは,実験室だけでなく,しばらくの間は居室も無いという状態でした.
赴任後1年間は,居室とか研究室のことよりも,講義の準備をすることと,将来の研究テーマを探すこと,つまり文献を調査することにほとんどの時間を費やしていたような気がします.
それでも幸せだったのは,感性と才能に恵まれた学生に巡り会えたことです.もちろん,私の未熟さのせいで,学生とうまく歯車がかみ合わない時期もありました.
現在は,歯車をうまくかみ合わせて,しかも,なるだけ高速で歯車を回転させることを心がけています.
2001年4月から2002年3月までの間,日本私学振興財団のSabatical制度を利用して,
西オーストラリア大学 (The University of Western Australia)で研修する機会に恵まれました.
現在,中央大学理工学部精密機械工学科に勤務なさっておられます,佐藤壽芳教授のお口添えにより研修が実現致しました.
私の研究室に残すことになりました,修士課程に在籍する6人の学生と会話する目的でラップトップを持参しました.もしもラップトップがなければ,
また我国で講義,研究,会議,雑用に追われた多忙な日々を送っている限り,おそらくホームページを造る気にはなれなかったのではないか,と思います.
こうしたリラックスした環境を提供してくださった,Brian J Stone教授のご配慮に心から感謝しています.(Last updated: 18 April 2025)