Hongcouver

 Vancouver は数年前に Hongcouver と揶揄されるほど、香港からの
移民が多い。現在は香港人は減り続けるものの、代わりに台湾と中国
大陸からの移民が急増し、Greater Vancouver では、中国系の移民
は人口の10分の1以上を占めるようになった。

 こんな小話がある。
 ある中国系の女性が自宅で昼食を作っていたところ、誰かがドアをこ
じ開けようとしているのに気づいた。慌てて二階に駆け上がり、窓を開け、
 「HELP! HELP!」
と懸命に叫んだが、だれも助けにきてくれない。そうこうしてうちに侵入
者がドアを開け、二階に上がってきたので、女性はますます焦り、英語
が出なくなり、
 「救命!救命!」
と中国語で叫んだら、たちまち隣近所から十数人駆けつけ、侵入者を
押さえたのだ。

老華僑

 バンクーバーへの中国移民は、19世紀末に大陸横断鉄道の建設に
かりだされた「苦力(クーリー)」にはじまる。鉄道建設が終わって、多く
の移民がバンクーバーに残ったが、そのほとんどはあまり教育を受けて
いない人で、生計を維持するには、基本的には華僑の伝統的な「三刀」:
菜刀(料理)、剃刀(理髪)、剪刀(裁縫)に頼らざるを得なかった。一時
は人種差別的な政策の圧迫を受けたこともあり、生活は決して楽では
なかった。
 そうした「老華僑」の多くは広東省出身で、バンクーバーでは主に
Main Street と Hasting Street の交差点を中心とする Chinatown
付近に住んでいる。
 その後も中国での幾度の戦乱、政情不安により、広東・香港からの
移民は徐々に増えた。1999年にカナダ総督(国家元首・英女王のカ
ナダでの代理)になった  Adrienne Clarkson 女史もそうした移民の
一人である。

返還移民

 80年代に香港の中国への返還が決まってから、将来への不安を抱
く香港移民が波が押し寄せるようにバンクーバーにやってきた。移民は
地元の経済に大きな恵みをもたらしたが、住宅を始め、物価の上昇も
もたらした。
 聞いた話では、移民の中で、不動産屋の車に乗って住宅街を回り、
車も降りないで、「For Sale」の看板を探し、「これ、これ、これ」と買い
あさって帰る人もいたそうです。真偽のほどは不明だが、ここ十数年、
バンクーバーの地価が大幅に上昇し、カナダで他の都市より遙かに
高くなっているのは事実です(もともと気候が穏やかなため、定年後
の安住地として人気で、高かったですが)。
 そうした香港移民の多くは、バンクーバー国際空港所在の
Richmond City を住居を構えている。特に目抜き通りのNo. 3 Road
周辺の香港系住民はすでに50%を越えている。その周辺は香港資本
のショッピングモールがずらりと並び、名前も「上環」、「金鐘」など香港
からそのまま流用している。Richmond はすでに Chinatown を遙かに
しのぐ中国系居住地となり、「Little Hong Kong」と呼ばれている。
 ちなみに日系資本の「ヤオハンセンター」もここにあるが、
本家の方
がつぶれた
ので、すでに香港資本の手に渡った。テナントも大半中国系
になったが、フードコードにある日本食はファーストフードにしてはかなり
おいしかった。
 Richmond は実は住宅環境はそれほどよくないので、経済的に余裕
のある人は、高級住宅の建ち並ぶ West Vancouver や North
Vancouver に住まいを構える人も多い。しかし、香港返還がスムーズ
に行われ、その人たちの多くは香港に帰り、残った豪邸はGhost house
になり、犯罪の温床になるので、問題になっている。

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