研究室メンバー紹介
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溝田研究室
福岡工業大学 工学部 電子機械工学科
溝田武人
この研究は,風工学分野が取り扱う橋梁や高層建築物まわりの流れ,さらには地形風のような比較的スケールの大きな流れの問題に比較すればまことにささやかな,たかが野球ボールの振動現象を取り扱ったものですから,風工学というにはいささか苦しいと思います.しかし,この現象を解くためには風洞実験,空気力の測定,流れの可視化,コンピュータ・シミュレーション,フラッタ実験,Wake Field,境界層の遷移等など,風工学における研究手段が多く使われました.風工学の守備範囲を広げた,という評価は当事者として嬉しいものです.
1992年の暮れも最後の日曜日の午後,テレビでその年のアメリカ大リーグの特集番組を見ていた私は,「そのでは蝶のようなボールをじっくりとご覧下さい.」というナレーションとともに映し出されたTim Wakefieldの投球映像を見た瞬間に,これはいける,と興奮したものです.その頃,卒業研究として硬式野球ボールの空気力学をやっていたので,ナックルボールは格好の研究対象になりました.
6月に金沢大学で行われた日本風工学会年次総会で発表した時には,「フラッタ現象をひとつみーつけた.」と主張しました.NKK(株)の武田さんは座長として「次の発表は皆さんお待ちかねのナックルボールです.」と盛り上げて下さり,さらに学会誌での報告では,「専門分野の知識と昔野球少年であった夢をリンクしてくれた.」と私にとって最大級のおほめの言葉を下さいました.今後の研究をどう進めるのか?という会場からの質問に,「はい,Wakefieldの研究をしなければなりません.」と真面目に答えて会場の皆さんに笑って頂きましたが,なぜ皆さんが笑ったのかが分からなかった学生がいたそうですがそれもまた笑える話しです.発表が終わって,「フラッタ実験ができたら良いですね.」と言う仲間もいましたし,懇親会へ向かう満員のバスの最後部座席に私が座っていたことに気付かないで,「今度の学会論文賞はナックルボールで決まりだな.」と冗談で早くも賞を出して下さった私の知らない若い人にも今となっては感謝しています.
その年の4月から,久羽浩幸君が修士課程の学生として入って来て,研究が一段と進みました.まず,フラッタ実験の装置を作成して,実験してみますとナックルボールの振幅の大きさは計算結果とピタリと一致しました.剥離流フラッタでは角柱のギャロッピングに関するG.V.Parkinsonの準定常理論が実験結果を説明できた唯一の理論だと言われますが,第2の例になった訳です.
ナックルボールが大きく揺れる原因になる大きな横力が何故作用するのか,という問題こそメカニズムの解明の本質です.そこで特定の縫い目配置の場合の後流の速度分布を測定してもらいました.N-graphで描いたその結果を研究室で見せられた瞬間のシーンは忘れられません.その図は後流の速度欠損領域の対称性が崩れて一方に激しくシフトしています.私は大声で,「これはすごい,我々はナックルボール発生のメカニズムを掴んだぞ.」と学生に言いました.学生も紅潮した顔をして喜んでくれました.
すぐに,学生と共に1階の実験室に行きながら,「このように大きく後流がシフトするのは,ボールの片側で層流剥離,もう一方で乱流に遷移して剥離線が大きく後退しているからに違いない.いまから0.5oの厚さの境界層の中を熱線流速計のI型センサで調べてみよう.」と説明しました.結果は予想通り,縫い目がボール前方の淀み点付近にある場合には,剥離線近くの境界層は層流のままでしたが,縫い目が前方からボールの横に近づいた場合はそれがトリガーとなって境界層の信号は激しい乱流を示し,剥離位置も背面側に大きく移動していたのです.この結果,Wake fieldは一方に激しく傾くのです.抗力に匹敵する横力が作用すること,ボールの回転に伴って順次振動的な横力が作用すること,を矛盾無く説明できました.
今振返ってみると,私にとってこの研究は非常にすんなりと進めることができた極めてまれな例です.しかし,剥離流の流体力学を専門にしている風工学の分野の方が,冒頭に述べたWakefieldのボールを見たらどなたでも,もっとスマートに結論まで到達されたと私は考えます.偶然にもその投球を見る機会に恵まれた私は運が良かったのだと思います.
この論文の別刷りを読んで下さった流体力学の2名の碩学のお便りの中に嬉しい評価がありました.お許しを得ましたので,その部分を転載させて頂きます.
巽 友正先生: この日常耳にする現象ながら,野球ボールの複雑極まりない運動が,理論と実験の両面から見事に解明されているのは全くの驚きです.谷先生がこの運動に興味をもっておられることは伺っていましたが,この複雑な運動はなかなか解析が難しかろうと敬遠しておりました.お仕事には敬意を表します.
種子田定俊先生:ナックルボールがいろいろの角度から詳しく調べられており,大変興味深く読ませていただきました.ナックルボールのメカニズムを明らかにした価値ある研究と思います.
もしもこの研究成果が色々な大学で学生への講義に使われるとしたら私の望外の喜びです.最後に論文の投稿を勧めて下さった方,論文賞に推薦して下さった方,審査して下さった関係各位に深く感謝いたします.末筆ながら,この世界に遅く入った私を種々御教示下さった故中村泰治先生の学恩に深く感謝すると共に先生の御冥福を祈ります.